平和教育学習会・懇談会 2013年11月3日

 

平和教育学習会・懇談会が2013年11月3日(日)午後4時30分から7時30分まで、広島平和記念資料館東館地下会議室1で行われた。内容は塚本 克子さん(広島市立亀山中学校教諭) による国語授業での平和教育の実践報告とアーサー・ビナードさん(詩人)による模擬授業ということであった。

 塚本克子さんから、中学校での国語科での実践についてうかがった。授業では言葉の力によって認識や思考を深めることをねらっている。そのためにも教材は大事である。教科書にもよい教材はあるが、吟味をする必要がある。2006年度の教科書は1年生で「大人になれなかった弟たちに……」(米倉 斉加年)、「雪とパイナップル」(鎌田 實)、2年生で「字のないはがき」(向田 邦子)や「ゼブラ」というベトナム帰還兵の話、3年生には「挨拶」(石垣 りん)が所収されている。しかし、2年生で、他の教科書にあった「壁に残された伝言」(井上恭 介)を扱いたいと思いたち、出版社にも了解をとり、自主教材として取り組んだ。

 8月6日をどのように生徒に迎えさせるか。当時を知らない人が書いたものが、過去と現在をつなぐものになるのではという思いを持っている。若い人で平和活動をしている人がどうして、そのようなことをしているかということも端緒としたい。

 「壁に残された伝言」(井上 恭介)を教材に、自分が「関係者」であり得るか、イマジネーションを働かせる発問もされている。しかし、テキストの限界はある。「偶然」が重なったと書かれていることのにたいして、保存に尽力した人びとの努力(地域では知られているのだが)があったことを忘れてはならない。

 袋町小学校に行ってきたという生徒たちがいて、聞いてみたら、出かけたついでに寄ったいう、何か気軽に立ち寄ったということが、「・・しなさい」という指導によるものではなく、肩ひじをはるものでない、生徒にすっと入ったようだとも語る。

 平和教育として、つねに全面展開しているわけではないが、読むなかで、わかってくること、言葉は人をはげますものでありたいと願っているとのことであった。

 今回の会合の次の部分は、中国新聞・ジュニアライターの小学生・中学生の2名の方が参加されて、記事になっています[『ジュニアライター発』 米出身の詩人 アーサー・ビナードさん]。アーサー・ビナードさんは、児童生徒にたいして学校の招かれて話しをすることも多いとのこと。まず、教科書に書いてあることはウソだといいたいが、このような「教育」関係の会合で、教師が教えていることは信用ならないということは、言いにくいとしながらも塚本さんの生徒さんの感想で、生徒さんが教科書に書かれていることの不十分さを見抜いていることは、生徒の批判力の正当性を物語るともいえよう。

 ジュニアライターの小学生・中学生さんに問いかけながら、Atomic BombやNuclear weaponという言い方やピカドンといういう言い方で、見方がかわってくること。原爆投下の理由にたいする通説を疑ってみることなど、話された。

 原爆は、英語でAtomic bomb/Nuclear weaponである。しかし、アメリカの子どもは、Atomic fireball と聞くと駄菓子屋で売っているキャンディのことになる。とても辛いニッキ味今でも売られているものなので誰でも知っている。Atomic fireball は平和記念資料館にある模型で、爆心の上500メートルのところにある火球(火の玉)のこと。このアメは1954年に売り出された。Atomic という言葉は、素晴らしいとか、すごいという意味で使われている。Nulcear もいい意味で「すごい」というイメージが流布されたのである。この言い方では、広島や長崎にしてもそこにいる人びとの苦しみなどは思いおよばない。原爆につきもののキノコ雲の写真はB29あるいは遠くはなれたところから撮影されたものだ。もし、その下にいたら、どうだっただろうか。Nuclear weapon という言い方はワシントンで使われる言葉である。

 米国では、日本はなかなか降伏しないので、原子爆弾をつくって、第2次世界大戦を早く終わらせるために、より多くの犠牲がでないようにやむをえず投下したと教えられた。ビナードさんは、広島で28才の時に、被爆体験を聞く機会があった。被爆者の人はピカあるいはピカドンという言葉を使う。

 原子爆弾や原爆、核兵器は Atomic bomb, A-bomb, Nuclear weapon を直訳したもので、リトルボーイやファットマンもつくった人の呼び名にすぎない。広島に来て、ピカドンという言葉を知った。ピカドンでは立ち位置がちがう。ピカドンという言葉は、当事者の言葉である。ピカはという人びとは、近くにいたので、ドンは聞いていない、ピカドンはもうちょっと距離のあるところでのこと。ピカドンという言葉のレンズを通してみると、教えられたことは歴史の「歪曲」であるということがわかってくる。ピカドンという言葉に出会うことによって鮮明になった。ピカドンは体験者しか使えないわけではない。ピカドンという言葉によって、体験者の立ち位置を引き受けるとこになる。「自分」は、上から見るのか、問題を背負うのかが迫ってくる。

 暦では、8月6日、9日、15日とつながっているように見えるが、そうではない。広島型に使われたのはウラン235で、長崎型のはプルトニウム239で、2つの原爆はまるっきりちがう。ウランは鉱山から手に入るが、235はごくわずか、ウラン238を捨てて濃縮してつくったのがウラン爆弾である。ウラン235を「原子炉」で「制御」して核分裂させてつくるのがプルトニウムである。プルトニウムは地球上に存在しない。2つのピカは別ものだとわかると、戦争を早くおわらせるとためであったいうのであれば、広島型を2つつくればよい、ことになる。プルトニウムをつくるには膨大な手間と資材・資金がかかった。それまで戦争を引きのばした。戦争をながびかせたのが原爆であった。『さがしてます』を編むなかで、平和記念資料館の遺品とむきあい、原爆投下の歴史の解明に至ったという。

 言葉の力があれば、意見のちがう人と、正しい・正しくない、よい・よくないではなく、疑問を持つことから、はじめるとよい、との示唆を得た。

 最後にもう一つ例をあげると、75年間は草木も生えぬといわれた広島「爆心地に咲いたカンナの写真」が展示の最後にある。9月18日撮影とあるが、それは本当だろうか、枕崎台風で相当な被害をだした直後にはなはだ疑わしい、との指摘があった。希望へのエピローグとして、このカンナの写真を見て感動する訪問者も多い。また、宿題をいただいた思いである。

   模擬授業ということで、ビナードさんの学校での講演の様子を垣間みたようであった。『さがしてます』『キンコンカンせんそう』を使った授業とのことであったので、現場での実践や授業案をもとに検討してもよいと思う。まずは、『さがしてます』『キンコンカンせんそう』を教材にどのように授業をするか考えてみたい。

(文責;浅川 和也)

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