アンネ・フランク展報告

 

1 全般

916日(火)~925日(木)甲南中学校・高等学校 大会議室

会場設営・撤収:高2GSP

一般公開 921日(日)10:00 ~ 15:00  見学者40名ほど 案内:高2 GSP

社会科の授業で、中学1年~高校2年生全員見学

 

2  社会科授業での取り扱い

■中学1

【授業での活動】

多くの生徒がほとんど予備知識を持っていない(アンネフランク、あるいはアンネの日記という名前を知っている程度)ので、まずは20分程度で当時の時代背景や、それまでのヨーロッパにおけるユダヤ人の状況について簡単に解説をした。短時間ではあったが、ユダヤ人が迫害を受け、虐殺されたこと、それがどういうものであったのかは、漠然とではあるが伝わったのではないかと思う。展示会場においては、真剣に見学している様子が見られ、生徒らはその恐ろしさを理解していたように思う。

【担当者のコメント】

 きちんと時間をとって説明したかった、というのが本音である。ただ、中学1年生ということもあり、細かい時代背景などを抜きにして、人間がこのような残虐なことをしてしまえる存在であること、そして、少し歯車が狂うだけでこのようなことをなってしまうことは理解してもらえたのではないかと思う。

 

■中学2

【授業での活動】

 前提として、世界史(山岡)の授業で、キリスト教・イスラム教の歴史、ユダヤ教・ユダヤ人の歴史について解説を聞き、朝読でパレスチナ問題に関する新聞記事の要点まとめを行い関連知識を得た。その上で日本史(安田)授業時間を利用して見学を行った。見学に先立って、アンネフランクが同世代であることに注意を喚起し、自分が人種が理由で逃亡生活をしなければ成らない状況、強制収容所に入れられてしまう状況、死に追いやられる状況を現実味を持って想像できるかという点を問いかけた。展示見学は概ね真剣に行っており、展示を見ながら重大な事件であったことに気づく生徒も多くいた。

【担当者のコメント】

 基本的な知識を取得してもらうとともに、同世代の少女が人種故に理不尽に死に追いやられたことを知り、人種差別を自らの問題として考えるきっかけとなるよう留意した。ホロコーストの社会的背景に関する理解は、中学2年生ということもあり不十分な部分もあるが、アンネの立場から想像力を働かせることは多くの生徒ができていたように思う。

 

■中学3

【授業での活動】

<学習における主眼点・予備的知識>

ユダヤ人とは何か?

[宗教、文化、民族の観点から解説を行った]

またユダヤ教・キリスト教・イスラム教の違いについての説明を行い、ヒトラーのユダヤ人差別のついて説明を行った。その中で、アンネの日記を紹介し、アンネのひたむきな人生について、描いた。私達、人間は差別を通じて、ここまで恐ろしいことができるということ、それは、今でも、社会生活を通じて、人間の差別はなくなっていないこと。差別のない、様々な多様な価値観を、どのように認める社会を作るかに主眼を置いた。そして、生徒自身がどのように生きていくかということに主眼を置いた。

【生徒の見学での発問など】

・なぜ、オランダに隠れ家に住んでいたのかということ

・隠れ家の構造について 、そのスペースまでがアンネ達が暮らすことができたのか。

・各収容所の地図を見ての色の違いなど。

 [収容所はなぜ、存在したのかなど]

   オスカー・シンドラーの工場労働の従業員の雇用としてユダヤ人を救ったこと。

   杉原千畝がビザの発行をして、安全な地域への渡航を保証したことなど。

 

高校1年

【授業での活動】、

 事前学習として、世界史A(濱口)の授業で、①アンネ・フランクの生涯、②ユダヤ人の歴史、③当時のドイツの状況、④加害者の実例、の4点について説明した。また、『映像の20世紀』のビデオを使い、ユダヤ人の迫害や虐殺の様子を見てもらった。

展覧会の見学も、世界史Aの授業時間を利用して行った。展示見学は概ね真剣に行っていた。

【担当者のコメント】

 ユダヤ人が迫害された事情について、ユダヤ人の歴史と第一次世界大戦後のドイツの混迷の二点を中心に説明した。また、ユダヤ人が可哀そう、というだけの話で終わらないように、迫害者の側の実態――彼らも元々は「普通の人々」であり、それが一旦殺りく業務に従事すると次第に残虐化した――についても話し、その恐ろしさについて考えてもらった。 

ビデオ映像はかなり残虐なものもあったが、生徒たちは目を背けずに真剣に見ていた。

 アンネという同世代の女の子の立場だけでなく、迫害者の側の立場も考えさせることを通して、平和について多角的に考えてもらうことができたと思う。

 

3. 生徒感想文

【中学1年】

「アンネ・フランクの人生」  

僕はアンネ・フランクという少女がどういう人物なのか、詳しくは知りませんでした。しかし、今回の特別授業でアンネ・フランクのことがわかり、興味を持つようになりました。また、当時の時代を知ることができました。僕は、ヒトラーの考えは、とても恐ろしいものだと思います。何より、強制収容所で600万人もの人々が死んでしまったということが想像できません。僕は、ユダヤ人の人々がたった一つの理由で迫害を受けるのかがわかりません。今も他国で宗教に関する問題を抱え、戦争をしているところがあります。宗教も皆がそれぞれの神や考え方を信じることが自由な社会が作られればいいなと思っています。アンネの勇気やとても強い心に感動した特別授業でした。これから『アンネの日記』を読んで、もっと関心を高めようと思いました。少ししか見れなかったけれど、『アンネの日記』のビデオも見ました。あんな大人数であんな小さい場所に、しかも2年も過ごしたのに驚きました。展示では、ナチスにユダヤ人が殺される写真、ユダヤ人が人前でナイフを突き出されている写真をみて驚きました。人は変わるとこんなにも恐ろしいことができるものなんだと。このアンネ・フランク展で、本当にいろいろな思いを感じ、得ることができた。

 

【中学2年】

「アンネフランク展を見て」  

 僕は初め隠れ家に8時から6時までじっとしていることは、すごく暇で退屈なことだと思っていました。だけど、資料を見てみるととても恐いことなのだと思いました。なぜならば、もし見つかると殺されるからです。ただ、ヒマで退屈なだけではなく、死ぬかもしれないという恐怖の中生きているということがどれだけ精神的ダメージを受けるかが少しわかりました。アンネフランクの話や、ユダヤ人の話を聞いて、人種差別は絶対にしてはならないと思いました。差別をするということは、とても大きなことだというのがわかりました。

 

「アンネの強い意志」』                  

 僕は、このアンネフランクに対する展示を見て、アンネには何一つ罪がないことがわかりました。

 世界恐慌がユダヤ人のしわざで、本当にユダヤ人が世界を混乱させてしまったのかは、僕にはわからないけれど、少なくとも、アンネフランクという一人のユダヤ人の少女には何の罪も無かったと思います。

 そして強制収容所へ行くまでも、強制収容所行く間も、強制収容所の中にいる時も、アンネフランクは「自分は何も悪いことはしていない」「ユダヤ人は加害者ではなく、最大の被害者である。」「これらはすべて、実質的な独裁政治を行っているヒトラーを代表とするナチスという一つの政党だけが悪いのであり、一般のドイツ人は本当は善良である。」と信じ続けていることが、その日記からわかりアンネフランクという少女の心は、とても強かったことがわかり、その何があってもくじけずにドイツやオランダ、その他の国が、ナチスから解放されることを強く願っていたアンネの心は、とてもすごいものだったと思います。

 

【中学3年】             

第二次世界大戦といえば、恐ろしいことの一つにヒトラーのユダヤ人虐殺があります。僕は日本人なので、もしこの時代に生きていたら、ドイツとは同盟国家なので、きっとユダヤ人に対しても、言われるままの感情しかわかなかったのかもしれません。今だから、ヒトラーを憎み、ユダヤ人をかわいそうだと思えるのだと思うと、とても複雑な気持ちになります。

僕はアンネが日記をいつ見つかって、殺されるかもわからない状況で書き続けられたのは、とてもすごいことだと思います。また、アンネ自身も自分で書いた日記に、おそらく何度も励まされたことでしょう。もし、強制収容所にも日記を持っていけていたら、アンネは何を書いていたのでしょうか。地獄のような場所でも、きっと希望を信じて夢を書いていたのではないか。そう、思います。きっと他にもヒトラーに反ユダヤ人法によって、苦しめられた人もたくさんいるでしょう。だから、もう二度と、繰り返してはいけないのです。

 

アンネフランク展を見て、ユダヤ人というだけで、同じ人間だというのに、つまらない思い込みで、差別を受けていて、追放ではなく、迫害を受けて、一箇所に集められ、そのうえ、ガス室に入れて、大量に一気に殺すのは本当に反人道的なことだと思いました。

アンネフランク展のパネル展示を見ていて、最初は、アンネフランクさんの父は会社の社長とかもしていて、あのナチス・ヒトラーがドイツのトップになり、軍国主義の国にしていき、しかも、その支持率が、うなぎ上りに上がっていってしまって、ヒトラーに逆らう人がいなくなってしまっていたから、ユダヤ人の迫害や、大量殺人へと変わっていき、そのせいで、いくつもの悲劇が生まれてしまったのだと感じました。これからの世界は、協調を大切に、差別がなくなればいいと思いました。

 

アンネフランクはドイツのフランクフルトに4歳までいて、ドイツのヒトラーを中心としたユダヤ人への弾圧を受け、オランダへ移住した。アンネとしては、まだ10代だったので、とても苦しんだと思った。

さらに、人種差別の法律などで、ユダヤ人がさらに苦しみ、大変な思いをしたことを知って、僕は日本が原爆を落とされたときと同じように、多くの人が傷ついているのを知っているから、それほど、みんな精神的にも傷ついていることが分かりました。その中で、アンネは夢を持っていて、将来はジャーナリストか有名な作家になることを夢見ていることはすごいと思った。有名な作家になるのをきっかけで、この日記を書いたのかもしれない一部だと思った。僕もアンネがこの日記を書いたのは14歳なので、年が近いので、将来のことをもっと、考えようと思いました。

 

僕はアンネ・フランクさんのことを学んで、大切だと感じたことが二つ、ありました。

一つ目は、人種差別をして、人間の尊厳をおかすようなことは決して許さないということです。それは、何も罪を犯していないユダヤ人の人々を迫害し、苦しめていたからです。

二つ目は、アンネの父、オットーさんが平和な世界になるようにと願いを込めて、アンネさんの日記を出版したことです。理由はユダヤ人の人たちは迫害され、苦しめられて自分の最愛の子を亡くしてしまって、ドイツを恨んで戦争をしようと考えたりもせず、平和を願うことで同じ経験をしてほしくないという心を持ったということが素晴らしいと感じたからです。

僕は中学1年生の時に、頭の病気で入院し、髪の毛も副作用のため、すべて抜けてしまいましたが、退院後に、学校へ行くと、クラスのみんなは、僕の頭のことを差別することなく、温かく迎えてくれました。ドイツの人も甲南生のようならば、悲劇が起きなかったのにと僕は思いました。

 

【高校1年】

 私はアンネ・フランクの日記の内容を見て、彼女がとても大変な時代を必死に生きたのだなあと感じました。今まで日本とアメリカの戦争の内容は詳しく知っていたのですが、「ユダヤ人の虐殺」や「ナチスの侵略」などについては知りませんでした。

 アンネ・フランクの一家はオランダのアムステルダムに行き、隠れていました。ナチスの占領はきついものだったのだなと感じました。

 アンネはこんな時代でも「ジャーナリストになりたい」という夢を持っていました。最後はチフスにかかって死んでしまいましたが、その死が来るまで夢を持ち続け、すごいなと感心しました。

 最後に、僕はアドルフ・ヒトラーのような独裁者、ナチスのようにある特定の人種を迫害、虐殺する政権には反対です。もし今このような国が現れた場合は恐らくほかの国は反対するでしょうが、日本はもっと強く反対すべきです。

 アンネ・フランクの日記が世界平和を作ることを願います。

 

 小さい頃に伝記みたいなものでアンネについての話を読んでいましたが、黄色い星をつけることや、本棚の裏に住んでいたことなどを少し覚えているくらいでした。母からヒトラーについても教えてもらった記憶がありますが、最後に自殺したことしか覚えていません。

 今、僕は16歳になってアンネよりも年上になったわけです。中学生になったばかりの少女が大人の汚い欲のために、毎日死におびえながら本棚の向こうで生きていたのかと思うと、なんだかかわいそうというか、やるせない気分になります。人種差別によって最終的に家族と引き離されて、栄養失調に苦しみチフスに体をおかされてと、そんな話が実際にあったんだなと思いました。

 いま日本にはたくさんの外国人がいます。「在日」なんて差別用語はありますが、スーパーに行けば中国人男性がレジ打ちをしていますし、うちのパン屋でもフィリピン人の女性が仕事をしていました。観光のために多くの人が外国から日本にやってきます。逆に日本人も外国に遊びに行ったり、仕事を市に言ったり、移住したり、海外の人と結婚したりします。

 それがほんの少し前まで、人種が違うとか、肌の色が違うなどの理由で暴力を受けたり、殺されたり、見世物にされ、自由を奪われということがあったのかと思うと、今の世の中は平和になったものです。それはアンネたちが過ごしたあのつらい過去があったからこそです。

 感謝すると言えば言葉は悪いと思います。でもその過去を学んで忘れないということ、そして伝えていくこと。それが今自分たちに出来ることだと思います。

 

 今日の展覧会で、自分は改めて恐怖を覚えた。自分が生まれる少し前まで人種差別が定着していたからだ。

 ユダヤ人というだけで暴行や強制労働の対象とされたことは事実である。しかし、ユダヤ人は嫌われながらも努力して豊かな生活を築いてきたのだから、迫害されるのはおかしいと思う。

 今日一番驚いたことは、ドイツの法律に「人種差別法」というのがあったことである。差別は他にもあったが、ここまで具体化されていたことに驚いた。

 しかし、ユダヤ人はこの恐怖に耐えながら必死に生きようとしていたのである。無論アンネ・フランクもその一人であったに違いない。その事実を考えると、現代日本で毎日のように起こる自殺はユダヤ人に申し訳ないと思う。

 しかし日本人で6000人のユダヤ人を救った杉原千畝という人がいる。私はこの人を尊敬している。当時、ナチスと日本は協力関係にあった中、外務省の命令を無視して日本へ渡るビザを発行したのである。このおかげで6000人の命が助かったのだ。私は本当にこの人を尊敬している。

 現代社会において人種差別は皆無になったとは言い切れない。少しでも少なくするには、一人一人があらゆる人種を受け入れる必要があると思う。そして、二度とアンネ・フランクのような犠牲者が出無いような平和な社会を願っている。

 

 僕はアンネ・フランクについての展覧会を見て、様々な思いをしました。アンネ・フランクの家族らはドイツ人に見つからないように隠れ家を利用して生活していて、僕ももしその時代にいたら同じようなことをしていたと思います。何故ならドイツ人に見つかったら強制収容所に送られて毒ガスの部屋で殺されてしまうからです。

 ユダヤ人を強制的に労働させたり、殺したりするヒトラーやドイツ人は確かに最低な人たちだと思います。このような人たちがいたという子尾を今の僕たちが後世の人達に伝えることが大切だと思いました。

 でも、このような人がいたというだけで無く、戦争の悲惨さや、独裁や差別、戦争はあるべきではないということをもっと自分や世界中の人が知り、いま世界で起きている差別や戦争をなくし、これからの未来を平和に過ごせるようにすることが世界中の人々の義務だと思います。

 

 同じくらいの年齢の子供が迫害され辛い思いをし、家族と引き離されて暮らしたということが信じられません。日本では同年代の子供がすぐに自殺するような状況が続いていますが、戦争で生きようと思っても生きられなかった人に申し訳ないように思います。

 ユダヤ人というだけで迫害されるようなことは二度と世界で起きてはいけないともいます。迫害された人々の苦しみをこれからの世界の教訓として大切にしなければなりません。

 そのようなことをする国が出てきたら今は国連か何らかの組織が止めようと試みるでしょうが、組織だけでなく世界の国々も止めるべきだと思います。

 北朝鮮のような国も、世界で協力して何とかすべきだと思います。本当に世界平和を願うならば。

 戦争はなくならないでしょうが、民間人の虐殺はなくすことができると思うので、世界で協力し、二度と起こることの無いようにしていかねばならないと思います。

 

 ユダヤ人への迫害から逃れる生活をしていたアンネは、外に出ることも許されない状況で、唯一の友達として出来事を話していましたが、僕は恐らくそんな苦しい毎日の出来事を日記に記すことなんてできないと思います。

 アンネの日記はとてもユニークで面白いと思いました。初恋の話、友達との楽しい思い出を書いており、普通の女の子なのだと知りました。ヒトラーたちが何故ユダヤ人をそこまで消したがったのか、不思議でたまりません。

アンネの父オットーはものすごく誠実な人なのだと感じました。お父さんを敬っていたアンネもよい娘だと思いました。僕も父を敬うように心がけていきます。

アンネの生きた時代を想像することが全くできない現代ですが、今後も人種差別の無いような平和な世界になることを祈ります。

 

 アンネの日記を読んだことがなく、今日初めて写真展を見たが、結構生々しいかなと思いながら見ていた。

 アンネは、今の僕よりも大人っぽく、世界を見る目があるなと思った。「雷の落ちる音がした」など印象深い日記の一部もあり、やんちゃだったとはいえ、結構聡明な人でもあったのかなと感じた。隠れ家に隠れたこととかジャーナリストになりたいことを書いていたが、やっぱり子供らしい一面もあったと思うので、そんな子が迫害される対象になるということがやっぱり納得がいかないし、昔のドイツの悲惨な状況を思うと悲しくも感じられる。

 けれどもまだ他人事のように感じている面もあるので、もっと歴史に関心を持たねばならないと思う。日本も昔は悲惨な状況にあり、変えられない歴史がある。そういうことが世界には溢れているということを、今日改めて思い知らされた。

 

「アンネ・フランクの展覧会を見て」            

 僕はアンネ・フランクの展覧会を見て、本当に自分と同い年の子が戦争中に死んだと考えると心が痛みました。なぜ、何の変哲もなく、普通に暮らしていた女の子が「ユダヤ人」というだけで差別されて殺されてしまったのか。それはアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍がユダヤ人を差別したからだ。

 確かにユダヤ人は独自の価値観を持っていて、それは他民族からしたら腹立たしい面もあったかもしれない。しかし、それだけでユダヤ人を腹いせに殺しまくるのはとても反人道的だと思う。

 この点から、戦争が生み出すのは「偏見」と「差別」だと思った。私はこのような非人道的なことをなくすには、世界がもっと平和になり、国際会議を頻繁に開き、世界の問題を共に議論することが重要だと思う。

 

「今の自分たちがしないといけないこと」

 僕はアンネ・フランク展を見て、単にドイツ人が全て悪いというよりも、戦争によるドイツ人の焦りがユダヤ人迫害へと追いやったということがわかりました。

 日本とアメリカの戦争に際しても、在米日本人が迫害にあったり、日本人がアメリカを嫌ったりしました。戦争は人を死なせるだけではなく、一人一人の精神までも殺してしまいます。

 また、ドイツは人種の研究をしていて、ユダヤ人を目で見て分かるようにしました。それは人を人種によってわけることで団結し、強がるだけでなく、孤独になっているようにも思えました。

 日本という豊かな国の平和な時代に生まれた僕たちは、それらのことを知ることしかできないけれど、声を発していくことによって何かを変えられると信じています。また、これらのことを知った僕たちこそが、間違ったことを正せる大人にならないといけないと思います。

 

「アンネのすごさ」                    

 私はアンネ・フランク展を見て回って、少し不思議に思ったことがあります。それは私たちの知っているユダヤ人とは違うユダヤ人が写真の中にいたことです。

 今まで戦争についての勉強を通して学んだことは悲惨さやむごさでした。けれども、アンネは笑っていました。友達と遊んでいました。何故、戦争中で迫害を受けているのにもかかわらず、こうして笑えるのかと不思議に思いました。

 私の勝手な解釈ですが、答えとしては、どんな状況でも悲観的にならず、自分を貫いていたアンネの凄さゆえだと思います。人間的に完成されていないとなせる業ではないし、彼女が後世に名を残している所以だと思います。このことが分かったことが、今回の一番の収穫です。