平和教育関西フォーラム

日 時:2013年9月1日(日)午後1時30分から5時30分

場 所:京都教育大学A棟A1, A2教室*

内 容:発表と質疑・討論と交流

 淺川 和也「地域と世界での活動をむすぶ平和教育ネットワーク構想」

 天谷 和夫「市民に手による科学—世界連邦運動を補強する自然科学的根拠」

 竹内 久顕「シティズンシップ教育と平和教育-B・クリックの政治哲学に即して」

 村上登司文「広島と沖縄における平和教育のカリキュラム開発の比較」

参加費:無料

主 催:関西平和教育学研究会

    平和教育学研究会

    http://www.ngo-npo.org/peace-education/index.html

協 力:平和教育地球キャンペーン

      http://gcpej.jimdo.com/

申込み:フォーム https://ssl.form-mailer.jp/fms/6e79e445210113

問合せ:hapgcpej@gmail.com

*会場案内

  京都市伏見区深草藤森町1

  JR奈良線・藤森駅下車(徒歩約3分), 京阪本線・墨染駅下車(徒歩約7分)

交 通:

http://www.kyokyo-u.ac.jp/access/access01/

周辺図:

http://www.kyokyo-u.ac.jp/access/access02/

構内図

http://www.kyokyo-u.ac.jp/campusmap/campus01.html

**過去の記録 

http://gcpej.jimdo.com/cipe/kansai/

 

発表者と概要

 

淺川 和也「地域と世界での活動をむすぶ平和教育ネットワーク構想」

 北米を中心に平和教育は民主主義の基盤形成として展開されている。暴力予防、青少年健全幾席も平和教育として位置づいている。また、アフリカなどでは、ポストコンフリクトでの信頼醸成が平和教育だともいわれている。IIPE(International Institute on Peace Educaiton)では、そのようなさまざまな社会的文脈での平和教育実践が報告れた。昨年、IIPEが日本でひらかれ、以降、東京や札幌、関西、広島で継続的な活動がなされている。世界的ネットワークと連動する平和教育の動きをどうつくるか論議したい。

(東海学園大学)

 

天谷 和夫「市民による科学—世界連邦運動を補強する自然科学的根拠」

   これまで手がけてきた大気汚染の簡易測定器は最初は一般市民が協力して環境を調査し、健康を守るために環境を改善する手段でしたが、超安価な目視法NO2大気汚染サンプラーが開発され、世界中の人々が平和の実現のために連帯する具体的な手段として活用できると考えています。多数の人の意見で物事を決めていくのが民主主義ですが、多数決は数の暴力という言葉もあるように情報操作により誤ることがあります。各個人が自覚的に納得する真実を明らかにしてそれを教育によって浸透させること、そのための持続可能性教育が重要だと考えます。1.持続可能性教育の教材、平和教育の手談、世界市民の連帯の手段としての超安価目視法NO2簡易測定器。要旨 超安価な目視法NO2簡易測定器は世界規模で市民を連帯させる具体的な手段である。これを平和教育に活用する。2.世界連邦運動を補強する自然科学的根拠を考察する。世界連邦運動が一時期挫折して現在に至っているがこの運動を再生する必要がある。そのために理論的な根拠を補強する自然科学的な根拠を単細胞生物と多細胞生物との関係で説明する。

(洗剤・環境科学研究会)

 

竹内 久顕「シティズンシップ教育と平和教育-B・クリックの政治哲学に即して」

 平和教育における「価値」の問題や理念と現実の「乖離」の問題など、平和教育学が解明すべきいくつかの課題に対し、B・クリックのシティズンシップ教育論とその政治哲学の諸議論から学び得る知見を踏まえ、理論的整理と仮説の提示を試みたい。

(東京女子大学)

 

村上登司文「広島と沖縄における平和教育のカリキュラム開発の比較」

 平和教育学では、子どもの発達段階に対応した平和教育の教育目標と教育内容を整理し、それに即して教材を作成・整理して、カリキュラムを開発することが重要な課題である。本報告では、広島と沖縄における平和教育のカリキュラム開発を比較する。広島の原爆被爆と、沖縄の地上戦を中心とした平和教育のカリキュラム開発の相違点を検討する。戦後68年が経過し、広島でも沖縄でも戦争体験者から直接話を聴くのが難しくなっており、追体験した戦争体験を伝える戦争伝承者を養成することが課題となる。同時に、過去の戦争体験を平和な社会の構築に役立てるために、平和構築についての教育実践も必要である。

(京都教育大学)