第7回 平和教育学フォーラム(2022年2月11日)

テーマ:「平和教育の『見取り図』を描いてみる」

報告1:「平和教育学にとっての『基礎』となる研究をどう共有するか」

~今日の平和教育研究の困難性:“新しい平和教育”論を、12の展開軸から見てみる~

 

野島 大輔=国際関係学博士(平和教育)、行政学修士(国際人道法)=

 

<要点>

 国際的な平和教育研究では、2021年から、「見取り図」の作成の作業が始められている(Mapping Peace Education https://map.peace-ed-campaign.org/) 。日本国内で同様の作業を進める際には、平和教育研究の現状の全体像を把握していかなければならないが、それに先立って、まず基礎的な研究を共有する必要がある。

 

0:日本国内の平和教育の低迷の現状(1990s~現在)

 日本国内の平和教育は、戦前の萌芽期の後、戦後の黎明期(1950年代)から最盛期(1980年代)を経て、長い低迷期(1990年代から現在)に入ったままである。今日では、平和教育の「3つの乖離」(時間、空間、理念)に加えて、「第4の乖離」の深刻性が顕著になってきている(竹内2009)。「老舗的」な平和教育(“古い平和教育”)とほとんど協働・交流のない(先行研究の到達点が踏まえられていない、学術成果の連携のない)“新しい平和教育”が多々登場するようになっており、依然として組織だった研究体制が持たれないまま、“新しさ”が主張されている。この現状をどのように克服していけばよいのか。また、それらの主張のたびに、平和教育の範疇をめぐる議論も反復されており、今後の平和教育の固有性をどのように構築していくか、も大きな課題である。ドイツの平和教育の州カリキュラム(寺田2014)にあるような、平和教育の“ど真ん中 ―戦争の廃絶― が弱体化したまま、四方八方へ拡散している、という懸念も持たれている。

 

Ⅰ:新しい平和教育をどのように構築していくか

 報告者は元来、国際関係学の専攻の立場から、2007年より平和教育の研究に携わるようになった。それまで、自らの体験として様々な平和教育を受けてきたが、日本国内の伝統的な平和教育の研究の足跡を、ほぼ知らなかった。初学の段階では、① 中央的な学会組織や平和教育プロパーの専門誌が無くなっている ② 先行研究や、学問的な最先端の到達点が、極めて捕捉しにくい ③ 研究者や実践者が、中・小の活動体に極度に分節化している ④ 国際平和を論じる際の基礎的な親学問である「国際政治学」と、長期にわたって乖離している、…という研究上の難題に、すぐさま直面した。先行研究や、学問的な最先端の到達点の把握のため、やむなく、21種の学会加入/参加、国内約2,000文献、海外約300文献にあたることを要した。

 

Ⅱ:“新しい平和教育”の研究・実践の12の展開軸~特徴と課題~

 伝統的な平和教育の“柱”として、次の3つのテーマでの実践が挙げられる ―(i) ヒロシマ・ナガサキの被爆体験・教訓の継承 (ii) 沖縄の地上戦の体験・教訓の継承 (iii) 日本国憲法の平和主義の重要性― である。“新しい平和教育”は、これら“三本柱”の持つ基本的な特性を、様々な方向に逆展開して形作られてきた、と整理できるものと思われる。“新しい平和教育”の試みの展開軸を、以下の12項目に設定してみる(試論)。さらに、これらのうちの複数の「展開軸」の組み合わせがありうる。

 

<“三本柱” → “新しい平和教育”の12の展開軸>

展開軸(1) 過去性→未来性

古い戦争(二次大戦)が対象 → 新しい戦争(二次大戦以降)が対象

 

展開軸(2) 地域性→越境性

日本国内の戦争だけでなく、海外の戦争も扱おうとする

 

展開軸(3) 被害中心性→加害中心性

旧大日本帝国の一般市民の「被害」中心 → 旧大日本帝国軍による「加害」も扱っていく

 

展開軸(4) 直接的暴力中心性→構造的暴力を対象とする

直接的暴力だけでなく、構造的暴力を対象としていく

*「構造的暴力」については、特に開発教育協会が、教材開発や普及の面で既に大きな成果を挙げている。

 

展開軸(5) 直接的暴力中心性→文化的暴力を対象とする

直接的暴力だけでなく、文化的暴力を対象としていく

 

展開軸(6) 直接的暴力中心性→自然的暴力(仮称)を対象とする

地球温暖化と気候変動、新型ウィルスのパンデミック…という地球文明滅亡の危機を対象としていく

 

展開軸(7) 外面性→内面性

外面の平和教育(軍事、支配、他)から、内面の平和教育(インナー・ピース)に着目していく

 

展開軸(8) マクロ性→ミクロ性

マクロの暴力(国家間の武力紛争)から、ミクロの暴力(対人関係)を扱っていく

 

展開軸(9) 受動性→能動性

受動的な聞き取りや鑑賞中心から、能動的なアクティヴ・ラーニングを導入していく

 

展開軸(10) 問題中心性→解決中心性

紛争の結果からの問題提起が中心の手法から、紛争の解決技術の習得を中心としていく

 

展開軸(11) 党派性→脱党派性

政治運動と一体となった平和教育から、党派性から脱する平和教育を位置づけていく

 

展開軸(12) 国内性→世界性

日本国内の研究・実践にとどまらず、国際的な平和教育に関連する分野の導入を目指す

 

以上の整理を通じてみると、“新しい平和教育”で試みられている手法は、多くの場合に日本国内の平和教育の黎明期~最盛期や、海外での平和教育に、先行研究・先行実践があることがわかる。平和教育研究の「見取り図」を作成する必要性という観点から、12の展開軸による“新しい平和教育”の演繹手法の特徴と限界について、抽出されてきたことを4つ挙げてみる。

 

(1) “新しい平和教育”には、あくまで現状を“三本柱”が中心である、とみなす前提があり、平和教育の黎明期~最盛期の先行研究・先行実践が、十分に伝わっていない。

 

(2)“新しい平和教育”の展開の試みの多くは、かつて踏破/提起されてきた展開軸であった。平和教育研究の「見取り図」を描こうとする際に、百花繚乱であってもよいが、互いに「どの程度バラバラか」は認知し合うべきである。そうでないと、「第四の乖離」はさらに開く一方となり、平和教育が進化していかない。

 

(3) 研究者・実践者の、自己の研究/実践の客観的位置については、互いに自覚的であるべきだが、平和教育研究の現状はバラバラである。研究者・実践者どうしが相互にあまりよく認知し合っておらず、共有された土俵に基づいた研究体制が採られてはいない。これではいつまで経っても、同種の“新しい平和教育”の登場が繰り返され、堂々めぐりになるだけ、という懸念がもたれる。

 

(4)“新しい平和教育”の登場の度ごとに、平和教育の「範疇」を再検討するという論題が反復している。平和教育の範疇を「拡げる」試みが、“新しい平和教育”とともに、付随的に論じられてきたが、理論に基づいた議論の成果がまとめられてはいない。リアドン(1988)・ハリス(2004)による「包括的平和教育」(①国際教育 ②人権教育 ③開発教育 ④環境教育 ⑤紛争解決教育 の5つを範疇とする)の示す範疇が学説として有力だが、国際的な平和教育研究の第一人者どうしの間でもまだ議論があるところであり、決定版となるには至っていない。また、日本の戦争直後の教育では、かなり広範な平和教育の範疇が採られていたこと(勝田1954、師井1952)が思い起こされる。岡本(2000)はリアドンの「包括的平和教育」に近い範疇を主張するが、うち軍縮教育・反原爆教育を中核とすべき、ともしていた。範疇に拠らず、志向価値、目的や特性を基にするUNICEFの定義 (Fountain, 1999) にも注意を払うべきである。

 

Ⅲ:12の展開軸による“新しい平和教育”論の検討の結果として

1:先行研究/実践の共有の必要性

“新しい平和教育”による、展開軸を逆転させる発想は、ほとんど既に、平和教育の黎明期~最盛期に提起されてきた。それらが有意に継承できる体制が無くバラバラなために、“堂々めぐり”を繰り返している。日本国内の先行研究/実践や海外の先行研究/実践を共有できる体制づくり(平和教育学の理論の体系化・制度化)が、喫緊に必要である

 

2:平和教育の定義・範疇の確定の必要性

「平和」の対概念である「暴力」が通常、重層的・多層的・連鎖的・相似的に発生することからすると、「平和」を教育するに際しては、平和教育の範疇について、理論的・合理的な観点から整理・共有する必要がある。そのプロセスとして、少なくとも、どのくらいバラバラなのか、互いに相対的な位置を自覚的に論じあう方向性の形成(「見取り図」)とその共有が必要である。

 

Ⅳ:「平和教育学」の必要性について…これも再三、先行研究で提起されてきた

 「平和学+教育学=平和教育学」の実現への道のりの重要性を説いたのは、堀江(1980, 1982)である。「平和教育学」の語を用いてはいないが、大槻(1977)も「学校教育における平和教育の位置づけをさらに明確にし、平和教育推進体制を確立していく課題」について指摘していた。このように、「平和教育学」の必要性そのものについても、先行研究は再三、提起してきた。

 国際的な「平和教育学」では、既に固有の学位が出され、国際的な学術誌 “Journal of Peace Education (JPE)” が創刊(2004)されるようになっている。JPEでは、世界各地で、それぞれの地域の事情に即した非常に様々な研究・実践が行われている報告が掲載されている。Encyclopedia of Peace Education の刊行(2008)、IIPE (International Institute on Peace Education)、GCPE (Global Campaign for Peace Education) などによる世界各地での研究会の開催など、国際的な普及活動が進展している。

 日本国内では、『平和教育学事典』が刊行され(平和教育学研究会 2017)、平和教育研究の理論化・制度化のための布石となっているが、この次には、基本論文集、学問としての入門書・教科書、などが必要と思われる。

 

Ⅴ:<結論>まずは平和教育学の「基礎」となる研究を、整理・共有する必要

(0) “新しい平和教育”の構成は、他の学術分野で採られるディシプリンと同様に、全体的な構図の把握と共有の上で、先行研究・実践を踏まえながら、理論的な必然性に基づいて展開されていくべきである。

 

(1) まず、平和教育学の日本国内での「古典」(“古い平和教育”)の成果と到達点とを共有するべきである。

 『教育学研究』『教育』『歴史地理教育』『人権教育』『解放教育』『部落解放研究』『日本の科学者』『国民教育』『平和教育』『教育評論』『未来をひらく教育』などの各誌に掲載された、平和教育に関連する諸稿(平和教育全盛期までの論文や記事が掲載されていたが、これらの一部は廃刊・休刊となった)の散逸を防ぎ、研究者・実践者の間で共有していく手立てに着手することが必要である(参考:西尾2011)。4つある社会科教育系の学会の学会誌や、平和教育に近接する各関連分野の学会誌の追跡も必須である。

 

(2) 日本国内の平和教育の「見取り図」を作成する

  国際的な平和教育研究の「見取り図」作成(Mapping Peace Education)の活動に倣って、日本国内の平和教育の「見取り図」を作成する作業が必要である。

 

<参考文献一覧 (文中に挙げたものとして)>

Fountain, Susan (1999) “Peace Education” in UNICEF  UNICEF

Harris, Ian (2004) “Peace Education Theory” Journal of Peace Education Vol.1 No.1

Reardon, Betty (1988) Comprehensive Peace Education" Teachers College, Columbia University *改訂版有り

大槻 和夫(1977)「広島における平和教育の歩みと今日の課題」『平和研究』2号

岡本 三夫(2000)「平和教育とは何か」『平和教育研究年報』28号

勝田 守一(1954)「平和教育の考え方について」『教育』32号

竹内 久顕(2009)「平和教育をつくり直す」『平和学を学ぶ人のために』世界思想社

寺田 佳孝(2014)『ドイツの外交・安全保障政策の教育―平和研究に基づく新たな批判的観点の探求』

西尾 理(2011)『学校における平和教育の思想と実践』‎ 学術出版会

平和教育学研究会 編(2017)『平和教育学事典』京都教育大学 教育社会学研究室

堀江 宗生(1980)「平和教育学を目指して―その系譜・課題・方法」『平和研究』5号

堀江 宗生(1982)「平和教育学の方法論」『平和研究』7号 

村上 登司文(2011)『いきいき平和学習―平和な社会形成のための教育』京都教育大学 教育社会学研究室

師井 恒男(1952)「平和のための教育計画」『教育』9号

 

テーマ:「平和教育の『見取り図』を描いてみる」

報告2:平和教育と関連する諸教育分野の現状と課題 (ESDとSDGs等)

https://gcpej.jimdofree.com/cipe/kansai/10a/