平和のための埼玉の戦争展・市民といっしょに創る平和へのみち

開催日:2003年7月26日【土】午前11時集合
場 所:浦和駅西口前コルソ7階ホールおよび埼玉会館
参加者:13名(学生:6名、NGOスタッフ:1名、教師:4名、他リソースパースン2名)
内 容:
1)「平和のための埼玉の戦争」見学
   11時から12時30分 自由見学
2)「市民といっしょに創る平和のみち:

   どのように計画し、広報し、連帯をつくって、広げていくか」 
   午後2時から3時30分(埼玉会館 会議室)
 「埼玉の平和戦争展」のはじまりと変遷
   講師:杉田 昭宏  
 「エジブト文化と平和教育」
   講師:ナハラ・エル・セヌーシー
   通訳:菊地 恵子

「市民といっしょに創る平和の路」

 「平和のための埼玉の戦争」見学のあと、進行は淺川さんが担当し、「戦争展」の感想からスタートした。感想は次のようなものであった。 
・スペースを上手に使って展示して、各展示場所には解説や案内の担当者を配置しているので、わからなければすぐ質問をして答えてもらえるのがよい。
・若者から高齢者、老若男女がかかわっているという感じが市民の手づくり感を与えていた。
・生活協同組合の関係者は親子ツアーをおこなっていて興味深い。
・資料が具体的で、数字も示されていて、わかりやすい。
・各国の憲法を紹介していて興味深かったが、コスタリカの平和憲法がなかったのが、残念であった。

 これらを受けて、地域に根差す活動をどのようにすすめるかについて、意見交換をした。
・たち上げ準備の時から、学校へ呼びかけた。公募、口コミなどで人が集まってきた。
・学校を巻き込んで、教師、生徒、学生の参加がよかったし大切だと感じている。
・次の世代が考えて参加する。
・若者が動く。
・生活協同組合の参加と協力
・担当制(解説や展示など)、部署制(憲法や第2次世界大戦、子ども兵士問題など)
・中国帰還者連絡会、被爆者連絡協議会、在日外国人関係団体などの参加。
・日韓それぞれ体験を伝え、引きだす。
 市民の参加を呼びかけ、現在も、教育関係者、生徒や学生をはじめ、生活共同組合員、主婦やサラリーマンがかかわり、展示や案内などに、協働をしているこ とが、連帯を深めている。準備や運営に参加することで、意義を理解して、輪が広がっていっている。

 出された課題は次のようなものであった。
・次の世代へのつなげ方、「緩やか」なネットワークの限界、時間不足

「埼玉の平和戦争展」のはじまりと変遷
 1978年ごろは国連中心、1982年ごろはニューヨークでの核軍縮会議がおこなわれた。そうした国際的な動きに関して、展示したり、募金活動をおこ なったりした。また、宗教団体の参加もあった。1980後半では、ベトナム戦争・核戦争・イランイラク戦争や湾岸戦争など米ソ冷戦時代の戦火を中心に取り 組んだ。また、ピナツボ火山の爆発による災害のことも展示に含めた。1990年代にはボスニア・ルワンダ、リベリア領土侵攻などを中心に展示した。 1990年代後半より「平和の文化」を打ちだしている。いわゆる内戦といわれている問題にたいして、マスメディアにの関心が低い、というより関心がない、 それらをどのようにして高めていくかが、今後の課題でもある。時代の流れもあるが、若者の参加もあり、以前の参加者からの紹介などによって、経験引き継が れていく傾向がある。このような活動の広がりはあるが、同時に参加する人数が少なくなることもあった。

「エジブト文化と平和教育」

 エジプトは歴史が長いが、日本でおこわれているような「平和教育」というのは、特別になく、日常もあまり意識はしていない。しかし、これからの世界を考 えていくと、平和を考える教育は必要であると感じる、と言う。イスラム社会は、共同体としての平和な社会を目指す価値観につらぬかれている。イスラムに対 する理解は、現在の状況において、きわめて重要である。参加者からのエジプト文化の質問が多くなって、時間切れになってしまった。
 
後 記 
 「埼玉の平和のための戦争展」が市民活動のなかに、位置づき、取り組まれてきているのは素晴らしいことである。あらゆる地域でもおこないたい。平和とい うことばでさえ、難しい、大変などのイメージが人びとのなかにあり、気軽に参加する、という雰囲気がつくりにくいのが実情である。そのイメージをいかに壊 して、誰でも、普通に参加できるような活動をすすめられるかが課題である。そのためにも、幼少期から公式・非公式の教育のなかに平和教育を取り入れたい。 これからのGCPEJの活動が期待される。(報告者:馬場 千枝子)