アメリカにおける9.11後の平和教育は*


ベティ・リアドン(コロンビア大学ティーチャーズカレッジ大学院教授)

1.平和教育とは
 9月11日のテロの後、私は、平和の文化ということを、さまざまなところで話しました。どのような歴史的背景であっても、また、いかなる国にあっても、 平和教育は戦争や暴力の文化というものを変える、ということに尽きると思います。暴力と戦争の文化というのが、残念ながら、私たちの住んでいる世界の文化 になってしまっているわけです。この暴力の文化の中心にあるのが、軍事化された愛国心だと思います。それは基本的に人間が世界中を下に置く力をもっている というような、戦争というシステム(仕組み)が、何か政治的な、絶対的な力を持っているのを前提とするような、いわば軍事化された心にもとづくものです。 
 『性差別と戦争システム』という本に、この戦争の仕組みについて書きましたが、9月11日以降、アフガニスタンやイラクのことが問題になるにつれ、この 世界の支配機構が、ますますはっきりと姿をあらわしてきたのではないか、と考えます。 
 私たちが求める平和教育というのは、軍事的なシステムを変えていくことを目指します。ですから、システムそのものについて、もっと理解すべきであると思 います。9月11日以降、ますますはっきりしてきた、このシステムの特徴が5つあります。 

2.アメリカの戦争論理
(1)正義か悪かー二者択一の論理
 まず第一のポイントとして、二つのうちから一つを選べという迫り方です。「もしもあなた方がアメリカ(米国)に反対していないのならば、それは私たちに 味方するという意味ですね」というような、脅迫ともとれるようなことを、ブッシュ大統領は言いました。この二つを完全に分けてしまうという考え方が、最 近、強くなっているのです。私たちは絶対に正しく、反対に立つ人は絶対に邪悪だという考え方です。ブレア首相やサダム・フセインも同じような言い方をしま す。

(2)悪は力によって倒すー力の論理
 冷戦時代が終わってからアメリカは力によって物事を解決するという姿勢が強くなりましたが、ニューヨークのテロ以降は、それがさらに強くなっています。 今まで米国本土が攻撃を受けた経験がなく、テロによって国民のなかに不安が強まったことを利用しています。 

(3)強いものが悪を倒すー大国主義の論理
 自分たちの国が攻撃を受けたのだから、「私たちは相手を攻撃する権利があるだけでなく、その邪悪な敵をやっつける義務があるんだ。邪悪なものに対して完 全に勝利するのが世界でもっとも正しい、もっとも強い国の義務なんだ」 というようなことが、言われてきています。

(4)人権よりも国家―人権無視の論理
 国家を前面にだすことによって、今までもっとも大切と思われていたものが、お預けになってしまう、という特徴です。中心は国家で、正しいアメリカがおこ なう正義の戦いでは、人権が抑圧されても当然という論理です。アフガニスタンやイラクにおいてはいうまでもなく、アメリカ国内においてもすすんでいます。 

(5)戦争反対は非愛国者―民主主義抑圧の論理 
 さらに、大衆の大多数の声が無視されるという仕組みがあります。絶対的な権力が支配する仕組みのなかでは、ごく少数の人々の思想が実行されます。とりわ けマスコミを通じてこのような論理が流されてきます。 
 
3.平和教育のカリキュラムのあり方
 ニューヨークの悲劇のあとで、世界中の人びとにわかってきたことがあります。これは戦争ということ、戦争ができる仕組みが持つ、仕組みそのものの欠陥で す。それ以前にも世界中に反戦運動があり「○○戦争に反対」「この戦争に反対」というものでしたが、少し違ってきているのは、戦争そのものの仕組みがよく ないということをとりあげる運動ででてきて、この戦争体制を変えなければいけないということに、多くの人びとが気づいているということです。
 ハーグ・アピールの一番大切な点というのは、戦争そのものをやめなければいけないという固い気持ちです。
 ハーグアピール平和教育地球キャンペーンで出した平和教育のカリキュラムのなかで、どのように非暴力化、平和の教育をすすめるかということを提案してい ます。同じ時期にユネスコが『ジェンダーから見た平和の文化をきずくための教育』を著わし、そのなかで、学習者が今までと違う文化システムというのをつく るように、手助けをするには、どのような教え方があるかが、提案されています。
 この提案では、今までのように白・黒どっちを決めるというような考え方ではなくて、包括的な見方で社会や全体のことを、とらえる必要があるとしていま す。 
 私たちの提案とユネスコの提案に共通しているのは、私たちの平和教育の新しい任務というのを明かにしていることです。それには2つの柱があり、制度的な 改革または変更のための働きかけと、もう一つ文化的な面での働きかけで、この二つが合わさって、ちょうどよいバランスで、すすめる必要があるということで す。 
 9月11日以降、アメリカの平和教育の中で気にしてきた三つのテーマがあります。 
 一つは「イスラムホビア」という表現で、イスラムやアラブ系の文化に対する拒否反応、または憎しみというものです。人びとがイスラムやアラブを無視し て、イスラムやアラブに対して無知である、ということによって国の指導者たちは、アラブ世界に対する軍事攻撃というのが、われわれの自由のため、または何 か解放のため、価値あることのためと宣伝できてしまうのです。
 二つ目は民主主義を棚上げにした形の人権の蹂躙ということです。人びとが怖さというものを持っている場合は、政府にとって人権を抑圧するのが簡単になっ てしまいます。ちょっとの間我慢しろ、というような強権的な解決を政府が提案し易くなるわけです。キューバにおけるアフガニスタン兵のあつかい等はその例 の一つです。 
 もう一つは非暴力化、非軍事化の問題です。ユネスコが1980年に非武装教育・非軍事化教育についての世界会議をおこないました。その最終文書は今では まったく人びとの目に触れることができなくなってしまいましたが、平和教育の一環としての非軍事化教育ということが、いわれています。アメリカはこの文書 がとても気に入らず、アメリカがユネスコを脱退する時の理由の一つがこの文書でした。

4.危機こそチャンスーユネスコ・国連と私たち 
 「危機」というのはチャンスでもあるのです。この漢字には、機会という意味が含まれています。テロを機会にアメリカの横暴が強まっているいる反面、戦争 に反対する普通の人びとは、戦争を終わらせるためには、世界的に準備された組織があり、非武装化に関する国際監視というメカニズムが同時にできなければな らないということに、気づいています。 
 昨年秋にだされた国連の専門家のレポートのなかにも、完全な全面的な非武装化・非軍事化という文句があります。まだ、この考え方に必ずしも完全に信頼で きないとする人もいるのですが、この完全な非武装化という考え方を、これからも良心的な教育者に働きかけて、教育ですすめていくことにしたいと思います。 教育によってはじめてこの「完全に非武装」ということが実現する可能性が見えてくるのです。 

*「平和の文化をきずく会」(以下「きずく会」)の2003年3月21日にひらかれたの平和の文化をきずく会での記念講演抄訳。ベティ・リアドンは、国際 平和教育研究集会や平和教育研究所を主宰し、99年にハーグで開催された平和市民集会で採択された「ハーグ平和アピール」を踏まえて、ハーグ平和 教育グローバルキャンペーンに取り組んでいます。世界中で平和教育がすすめられることをめざして、勢力的な活動を行なっています。