日本ハーグ 平和アピール平和教育地球キャンペーン(GCPEJ)
2002年3月23日・清泉女子大学にて
平和の文化と教育の課題
ベティ・リアドン(Betty, Reardon)
ご参加いただいた方に感謝申し上げます。昨日に続いて参加されている方にとくに感謝いたします。
本日は、教室や学校のことになるのですが、昨日、ふれた内容と関連しています。平和の文化のための教育ということではさまざまな問題がありますが、これ から2つの点をお話しをいたします。1つは教室の風土で、もう一つはカリキュラムについてです。
私は米国での教師経験、国際的な活動から、日本の人たちにも、同じように共通する問題や課題があると思います。教材やカリキュラムを共同でつくることは 可能 だと思います。しかし、それはカリキュラムや教材を単に翻訳をして移植するだけではすまないと思います。交流をして、相互の問題を理解し、異なった地域で
共通する課題に取り組んでいるいるわけですが、ただし、まったく互換ができるとは思いません。どのように自らの状況にあてはめることができるかを考える必 要があります。
昨日の質疑では、他者との関係での自己形成と、もう一つはインストラクションとエデュケーションのちがいのことがありました。インストラクションは事 柄としての知識を提供することで、後者は知識を応用できるようにはぐくむことです。
教室風土は、教師からの関与によって決定される価値や態度と関係があります。カリキュラムは、取り組まれるべき問題の教科領域であり、平和の文化をきず くのにさまたげになる問題を取り除くための知識を学という目的が反映されるものです。教育はこのような問題を克服するようにすすめられるものなのです。教
室風土は価値と態度と連関があり、カリキュラムは問題に対する知識とスキルからなっています。しかも、それらはすべて相互に関連し合っています。教育活動 のなかで、この教室風土とカリキュラムが常に関わりあっているということを意識しているべきでしょう。教師が教員養成や教師研修において、世界観や力量 が、知識やスキルを相互補完的に身につけていくことが大切なのです。
教員養成や教師研修には、フォーメーションとトレーニングの2つの面があり、フォーメーションとはベテランの教師あるいは指導者とともに実践のなかで力 量を高めていくものです。トレーニングは学習者が問題を解決するのに必要なスキルを身につけるようするものです。
平和の文化の中心的な価値は、人間の普遍的尊厳であり、人間性にもとずくものであり、平和の文化の発展の基礎となるもので、普遍的な人権でもあります。 これは、教室風土を形成するうえでの基礎でもあります。生徒、そして教師が、相互に尊敬することにことから民主主義にもとずく教室となるのです。これは市
民社会における民主主義の基礎になるものです。私たちは市民権、自由への抑圧などの問題に直面しています。それに対して教室で民主主義を保障すること が、市民社会を形成する基盤になるのではないでしょうか。学びのコミュニティでは学習者の関係をつくること、学習者が責任を果たしていくこと、教師も含め
て互いに互いから学ぶことが大切です。教師研修も例外ではありません。40年間、このことを自ら実践してきたともいえます。
次に協同学習の重要性を指摘したいと思います。米国のジョンソン・ジョンソンの著作はよく知られています。協同して学んだ方が個々に学ぶよりも、より学 習が深いものとなることが報告されています。協同学習とコミュニティでの学び、相互補完的な学びは、互いに互いから学ぶということは、互いの持っている力
量や知識を共有し、共同の知識をつくりあげる創造的な営みです。教師は目の前の学習者と顔を合わせ、声をかわしてコミュニケーションをはかっていますが、 学び方にも気を配る必要があります。それらは個々に異なるもので、個々人の特徴というものが、その学習コミュニティにおいて、学習のための大事なリソース になります。
学習の場で相互を尊敬し、安心して学び、自信を学習者が得ていくことが必要です。それは他人と異なること、そうした意見を安心して出 し合うことができる場であり、コンフリクトがあったとしても、肯定的に対処していくことが大事です。大多数とは異なることに価値をおくことが、民主主義の
基礎なのです。昨日、抑制する「コンテンション(continent)」という概念では、異なった立場を認め、例えば、人権を肯定的に事実現していくこと になります。方法として民主的なかかわり合いを持つ教育、参加型教育を通じて自らの責任を果たす教育なのです。「戦争をなくすための教育」はより具体的な
方法が示されています。「ジェンダーの視点による平和の文化のための教育」は哲学的な指針です。ジェンダーは多様性を保障する普遍的な人間の尊厳に根差し ています。教室はコミュニティであり、学習者は自己を形成し、自己と他者を尊重し、平和の文化の実現に民主主義を実践する主体的な担い手になるのです。カ リキュラムにおける内容とプロセスである方法も重要です。
教育は社会が何らかの目的を実現することを目指しています。とくに公教育に平和の文化を位置づけることが必要でり、緊急の課題なのです。昨日、包括的平 和教育について話題にしました。包括的は、あらゆることを羅列的に含んでいるということではありません。包括的であることは、ホリスティックであり、すべ
ての事柄が関連しているということから、すべての事象の連関性を理解しすることにより、地球規模の問題へのよりシスティマティックな解決を目指すもので す。カリキュラムはコンテキストのなかから概念化され、特定な課題が見いだされるわけです。概念フレームワークの一例として「戦争をなくす教育」がありま
す。これは究極には戦争をなくすのを目的とする50の項目からなるハーグアジェンダの4つの領域から構成されるものです。
戦争の原因・平和の文化についは、歴史、システム、条件がどのように戦争をつくり出す文化であるのかを学びます。さらに、オルタナティブな(もう一つの 別な)解決を見いだすことも含みます。「戦争をなくす教育」はオルタナティブなコンフリクトの扱い方ということも含みます。コンフリクト・リゾリューショ
ンが平和教育の一環として実践されるようになってきていますが、平和の文化の観点からは、コンフリクト・プロセスとしてとらえ、暴力的なコンフリクトを 非暴力で転換をしていくことなのです。3つ目は暴力を転換することの1つの方法として、暴力の道具つまり武器をなくすということがあります。これが、軍縮
の課題です。人権を侵害するように武器で相手を脅かすような状況をなくすということです。1980年代にユネスコは軍縮教育に関する勧告をだしましたが、 各国政府は実行しませんでした。軍縮と非軍備化が国連総会で決議されたことからも、軍縮教育が新たな課題となっているのです。4つ目は人権の実現です。
ハーグアジェンダでの人権は国際人道法や国際人権規約や条約の内容を反映するものです。地球市民性とでもいうものです。これらは知識として教えられるもの ではなく、多様性と多様性が尊重されるようにならなければなりません。こうした人権が実現されるということが実践的課題となっています。
しかしながら、国連システムが普遍的であったとしても、20世紀の近代ヨーロッパの歴史のなかででてきたもので、南米における女性の権利に対して、どの よ うに人権概念をとられるかが問われるように、人権概念というのはダイナミックなものであり、異なった視点から、発展されるべきものだということも考慮され
なければなりません。国連人権宣言であろうともジェンダーの視点から再解釈されなければなりません。人権概念は石に刻まれたようなものではなく、人々の参 加によってつくられるものです。しかし、そのためには人権の国際的な水準についての知識が必要です。しかも、その知識は一字一句記憶するべきものではな
く、その目的や働きこそが学ばれなければなりません。人権の目的や働きを理解、国際的な水準から国や行政がなすべきことを市民として権利として要求するこ とができるわけです。知識があったとしても目的と働きが達成されなければ意味がないのです。平和の文化の学習は、そのような理念であり、目的は働きを学ぶ ことです。
教室風土は人間的で、肯定的であるべきです。そのカリキュラムは一貫性があるべきです。カリキュラムはフレームワークにもとに価値を実現する力量形成に 向けて段階的な連続性をなすもので、また実際に利用される教材を合わせ持つものです。1つの例として、女性に対する戦時下の暴力・犯罪を市民が裁くという ことで行われた2000年に東京でひらかれた「女性国際戦犯法廷」(Women's
International War Crimes Tribunal)を取りあげた教案があります。市民法廷は人権教育の1つのシュミレーションの実践であり、女性国際戦犯法廷は昨日のジェンダーの視点と シュミレーションという方法を統合するものになっています。