2013年5月20日;幹事会報告
平和市長会議(Mayor for Peace)について
西嶋さんより平和市長会議(Mayor for Peace)に関するお話をうかがった。スティーブン・リーパーさんが、広島平和文化センターの理事長になる前、原爆のことを世界に伝えるオンライン原爆ミュージアム(英語)にかかわっておられ、2006年に紹介いただき、そのことをとおして、西嶋さんは、核廃絶問題にかかわるようになったとのこと。リーパーさんは、2007年に、秋葉市長に理事長を拝命をされ、以降、東京にいて、リーパーさんを応援をすることになった。
平和市長会議は「1982(昭和57)年6月24日、ニューヨークの国連本部で開催された第2回国連軍縮特別総会において、荒木武・広島市長(当時)が、世界の都市が国境を超えて連帯し、ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画」を提唱し、広島・長崎両市長から世界各国の市長宛てにこの計画への賛同を求めました」とある。平和市長会議は国連の協議資格をもつNGOとなったが、会長職は広島市長が引き継いでいる。国政では動きが鈍いので、自治体の連携が大切とのことから始められた。当時、日本でも、まだ加盟していない市町村が多かったので、役所を訪ね歩いた。
核廃絶のためのプロセスをさだめたのがヒロシマナガサキ議定書であり、2008 年4 月に策定された。議定書というと難しいので、普通の市民にもわかるとよいと思う。環境問題では、京都議定書が知られている。ヒロシマナガサキ議定書もそうしたいという思いがあった。自治体が啓発の基盤となるであろう。
その頃、ピースボートが船に被爆者を乗せて世界を回るという企画をしていた(『ヒバクシャ地球一周 証言の航海』:2008年に100名の被爆者が乗船する試みをした。その後もかたちを変えて、折り鶴プロジェクトとして継続されている。被爆者は高齢者だから無理だろうとの話しもあったが、実際は、たくさん応募があった。その一人の磯さんは、このピースボートでの経験から、平和市長会議への加盟を訴えて、自家用車で全国をまわると言い出した。その後、Yes!キャンペーンがたちあがり、そこにも参加された。ちなみにNO...という表現が多いなか、Yes...というのはとてもよいのでは、と思っている(Yes!キャンペーンは2010年のNPT再検討会議のためのもので6月末で終了)。
東京でも自治体の首長から賛同署名を集めることになり、磯さんらが上京して、23区はもとより埼玉や群馬などを、また広島から岡田恵美子さんもいらしてまわった。役所の秘書課を訪ねたが、市長に会えた時と、議会中だからと断られたり、いろいろであった。皆さんの奮闘があり、短期間で1000の自治体から署名を得ることができ、2010年のNPT再検討会議にもっていった。そのことで政府にはたらきかける意図で、当時の福山外務副大臣とも会見をした。加盟自治体は、世界で5000をこえ、昨年そのイベントもおこなった。
埼玉県の長瀞町の町長に、磯さんと一緒にお会いした時、町長が、「それが一番やりたかったことだ」とポケットマネーを寄されたのには、感動的だった。
行政関係者から、近隣はどうですか、といつも問われる。事前に調べていって、○○はすでに署名してくれましたというようなコツもおぼえた。
2020年までに核廃絶をするという「2020ビジョン」もでき、2010年には、核兵器はいかに非人道的か、赤十字国際委員会によって核兵器の非人道性が示された。さらに、2013年3月には、ノルウェー政府が尽力し、オスロで核兵器の非人道性に関する国際会議が開かれた。この会議では、多くの国が核兵器の非人道性に賛同したにもかかわらず、日本政府はしなかった。その後のジュネーブでのNPT準備会議においても核兵器の不使用を求める共同声明の賛同国に日本が加わらなかった。これらはあまり報道されず、一般に、知られていない。
現在、核兵器の非人道性について、スイスとノルウェーによって呼びかけられている。ノルウェーはNATOに加盟しているにもかかわらず、そうしたことができている。日本は、米国の核の傘のもとにあるということはあっても、ノルウェーのような動きはできる。被爆国である日本政府の態度は、まったく残念に思える。
核兵器の不使用を求める共同声明には75カ国からの署名がなされた。クラスター爆弾禁止や対人地雷禁止は、市民からつみあげによってなされた。核兵器禁止条約についても、「やるのは今でしょう」。国際赤十字は、核爆発が起こった時、救援が困難であることから、核兵器の非人道性を訴えている。これらのことは、一般市民に知られていないので、少しでも皆さんにひろめたいと思っている。
平和市長会議は、市民にも「核兵器禁止条約」の交渉開始等を求める要請」署名を呼びかけている。サイトからも署名ができるようになっているので、ことあるごとに会合で署名を集めいきたい。
http://www.mayorsforpeace.org/jp/ecbn/projects/petition/online.html
いつでも署名は受け付けている。組織で集めている場合もあるが、2010年の時の署名は国連のロビーに展示されている。
Yes!キャンペーンには、黒田征太郎さんが、絵本をつくってくれた。核とは、核兵器とは何か、歴史も踏まえ、現状について知らせるための原稿をリーパーさんが用意したが、より魅力的にと、広島の若いアーチストも加わったプロジェクトNowがはじまった。人間の欲望からはじまって、核問題など考えたことのない人にも読んでもらいたいと、日英による『NOW』という書籍ができ、1冊1000円で普及している。カバーをスライドさせるデザインそのものにもメッセージが込められている。まさにスイッチ、オン、イマジネーション。最後にリーパーさんの詩ものっている。
核兵器は、自分とは関係ないと思いがちだが、核兵器は、人類を滅亡させ、地球にも甚大な被害をもたらすことが知られている。米国やロシアに配備されたものは、今でもすぐに使えるようになっており、さまざまな危険をはらんでいる。知れば知るほど、その危険性に恐ろしく思えてくる。核問題は、兵器のみのことではないことは自明のこと。たとえば、ホピの予言という映画でのメッセージは、ウラン鉱は、自然のバランスをくずすというメッセージであった。被爆の被害は広島・長崎のみならず、第五福竜丸に代表されるマーシャル諸島での核実験の被爆者もおられる。ウランの採掘や加工などの関連施設における被曝もある。また、原発と被曝は切り離せない。グローバル被爆者ととして、とらえられる。
リーパーさんは、海外の状況からみると、核廃絶の実現は目の前だということがわかっているといわれる。日本政府が、国際的であれば、このような世界の動きに呼応できるはずである。
リーパーさんの尽力により、2007年・2008年に米国で101ヶ所での原爆展が計画されたのも画期的である。米国の地方紙に広告を掲載するための募金もなされた。小さな教会での展示から、例えば、オバマさんが、イリノイ州で、大学でおこなわれた展示会を見たこともあったとのこと。平和資料館には、海外で原爆展をひらくための展示物を貸し出す(送り返す費用を負担する必要はあるが)制度もある。原爆展が世界中でひらかれるとよい。送料を企業が負担するなどの支援も必要であろう。
被爆の実相を伝えることが課題である。被爆者が高齢化していて、証言されるのが困難になってきた。ビデオやIT技術も使って、ウェッブサイトに証言が掲載されることもすすめられている。
はだしのゲンの薄い冊子やCDブックがあった。写真より、絵だとよりリアルに感じられる。ビナードさんが遺品にメッセージをつけてたものを出版している。子どもだと、モノが語りかけてくるような、悲しみが伝わるようだ。
竹内久顕さんが「戦禍のなかの子どもたち」という絵本をすすめていた。人が死ぬ場面とかはでてこないが、悲しみが伝わる。
子どもたちにとって、サダコさんの話しもよい。また、沼田さんの体験にもとづいて「アオギリにたくして」という映画を中村里美さんが撮影した。アオギリの芽をみつけて、自分の身体がつらくとも勇気がわいたとのストーリーである。『ピカッ-ドン-はもうやめて』という絵本もある。ただし、これらの定番を、幼いころから何回も聞きつづけているので、「うんざり」という声もある。今年から、平和教育のプログラムがはじまったのは、小中高をとおして系統的にすすめる試みといえる。
過日の大阪で p-comという集まりがあった、リーパーさんに共感した人がおいでになり、リーパーさんがその時々の話題を日英で2分ていどで話をする映像を配信するウエッブサイトを準備している、とのこと。
平和市長会議への参加には、議会の承認はいるが、首長の意向が重要である。首長が交替すると、おざなりになることもあるが、かつてなされた反核自治体宣言・平和都市宣言では、とくに政策に反映されることはなかったようだ。反核自治体宣言、平和都市宣言をしている自治体を訪問する際には、平和市長会議に加盟することで実のあるようにするよう訴えた。署名には、費用もかかない。賛同署名については、市長の一存でできる。
環境保護は誰しも賛同できるであろう。戦争は最大の環境破壊であり、核廃絶は人類の共通の課題であることは自明のこと。被爆国として、政治家がリーダーシップを発揮すべきである。