平和教育札幌ミーティング

    http://gcpej.jimdo.com/cipe/9/

場 所:市立札幌大通高校 2階・211(音楽室)

日 時:2013年8月4日(日)午後2時から午後6時

 

GCPE(平和教育地球キャンペーン)は、平和教育の国際的なネットワークであり、これまでの平和教育と海外をつなげて、あたらしい動きをつくるために日本でも各地で集まりを持ってきている。

 今回は、新英語教育研究会の全国大会終了後、2013年1月以降の広島でのイベントを紹介するとともに冨田さんに呼びかけていただいて北海道でのみなさんとの懇談を企画した。

 広島では学校での教科や行事など(教科外)での実践に加えて、開発教育や国際協力、留学生とのかかわりなどへのひろがりがあり、東京から平和教育の研究者である竹内さんも関わり、すすめられてきた。内容は以下のホームページに掲載されている。

 http://gcpej.jimdo.com/cipe/hiroshima/

 角崎さんから前任校での3年間のカリキュラムが示された。「ねがい」やインターネットを使った交流(横山)、広島女学院中高校での学校をあげてのとりくみ(矢野)など、これまで小中高でのさまざまな実践が集約された。小学生が保護者に戦争体験をインタビューすることや慰霊碑、墓地を訪ねて人びがどこで亡くなったかを地図にあらわしていくことなどの実践(忍岡)や、広島女学院中高での全学でのとりくみなど(矢野)。また、2013年からの広島市教育委員会の平和教育プランについても、佛圓さんからお話をうかがった。

 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120702143831809_ja

 また、広島からの発信として、被爆証言をNPT再検討会議やピースボートのプロジェクトで世界に発信されている八木さんもお招きした。

 赤松さんからは、1月の集まりでのこと、また、生徒とともに地域で活動した澤野さんと高校生平和ゼミナールのこと、中國新聞社のジュニアライターというこころみなどについてもふれられた(10代がつくる平和新聞ひろしま国 http://www.chugoku-np.co.jp/hiroshima-koku/index.html)。

 また「はだしのゲンが伝えたいこと」など精力的に発信をしているAnt-Hiroshimaの渡部さんやインドで児童労働問題にとりくむボーンフリーアートスクールの中山さんなどは参加されたこともひろがりの一つである。

http://peaceelephanttrain-tokyo.jimdo.com/bornfree-art-school/

 7月末にはピースアーチという大きなイベントに市民団体として参加したとのことである。http://www.peace-arch-hiroshima.net/

 今回、呼びかけをいただいた冨田さんは、札幌で「教育」の読書会をなさっており、その関係で、徳長(英語)、池田(社会)、笹木(音楽)さんからお話しをいただいた(冨田さんにもレジュメを用意いただいたが、時間が押して、お話をいただけませんでした)。

 徳長さんから、現在の英語教育の現状はコミュニケーション活動中心になっていて、理解がともなわないことの問題点の指摘があった。ペア活動が考えることなしに、おこなわれている。生徒が授業をわかることが第一で、わかることから安心して学ぶことができるという。英語の教科書にはさまざまな社会問題がとりあげられており、入試もそのような問題が反映されている。現代的課題を英語で学ぶことができるであろうが、それらすべてに精通することはできず、知識不足は否めない。内容として平和のことをというよりは、学ぶことへの見通し、信頼をどのようにつくるを基盤としたい。教室が競争主義におおわれ、他者と異なることへのおそれがある。これまでも異なった意見をやりとりし、合意を形成するのなどの実践はなされていた。協同学習も成果をあげている。教室は社会の反映だが、当事者の生徒の声を聞くことが大事ではないか。

 池田さんは、1990年ころから教師と地域の人びとによる実践を展開され、被爆者と教師でつくる平和教育、強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム、和解と平和のための東アジア市民ネットワークとも関わってこられた。2001年には、米国のアフガン空爆の是非を問うディベートを全校で取り組んだり、2008年には憲法改正に関する討論を行ったりしている。ややもすると教師からの「押しつけの反戦教育」になりがちな授業を、いかに「対話創造」するか尽力されている。憲法教育やシチズンシップとしての平和教育という点では、法教育が人びとがいかに法を守るか、あるいは従順な市民をつくるためのボランティア(東京都の高校「奉仕」のように)となるのに対して、人権の実現のための法や市民性が問われなければならない。

 笹木さんは、音楽だが、教科・道徳・総合・特活をつなげることを構想している。9.11やイラク戦争反対への思いから、平和運動にも関わるようになっていったという。合唱によって学校に文化をつくりあげる家本芳郎ら全生研での実践をあげるまでもなく、メッセージある歌曲による実践は少なくない。しかし、一方で、自分がトランペット奏者であることや、指揮者としての経験は、音楽の高揚する一体感のもつちからも自覚をしているとのこと。そうしたちからは、文化創造と自治の視点から省察される必要がある。合唱では曲の選定にはじまりプロセスを大事にし、内面からの表現を具現化することが、喜びにつながるという。教師研修や生徒理解に関わる膨大な資料をいただいた。冨田さんや池田さんとともに北海道臨床教育学会という場でも研鑽をつまれているとのことで、生徒個々の声(ナラティブ)に耳を傾けようとしているという。「臨床」というと個々のケースワークを想起するが、個は全体のなかで生きているという社会的視野からホリスティックに日々の実践は構築されるということをあらためて思う。