世界とのつながりを知るフィールドワーク
JICA横浜・海外移住資料館を見学し*、その後交流
日 時:2014年4月6日(日)午後4時から6時
場 所:JICA横浜・海外移住資料館(横浜市中区新港2-3-1)
http://www.jomm.jp/
*入場無料 / 学習シート http://www.jomm.jp/
JICA横浜海外移住資料館
2002年にJICA横浜海外移住資料館は開館した。JICA横浜の2階に、主に大きく「海外移住の歴史」と「われら新世界に参加す」として、また「ニッケイライフヒストリー」「日本の中のニッケイ・世界のニッケイ」という展示がしつらえてある。
「海外移住の歴史」では、まず、ローズフェスティバルに一等賞をとった野菜山車があり存在感がある。次に各都道府県別の移住者数が立体的に示さ、沖縄をはじめ、熊本、福岡、山口、広島からが多いのがよくわかる。1985年にハワイ王国への移民がはじまり、やがて、米国での日本人排斥(戦前)をへて、南米への移住がなされた。当初は農業労働者としての契約だったが、やがて自営農としての定着がはかられるようになったという。1973年まで集団移住がなされた。
第二次世界大戦は、大きな影響をおよぼし、米国では11万人、カナダでは一万一千人の日系人が強制立ち退きと収容された。そして補償がなされるのに40年以上要した。
「われら新世界に参加す」は、人類学者の梅棹忠夫さんが監修され、いわゆる移民が「出稼ぎ」「棄民」というイメージではなく、より積極的意義を見いだすよう転換をはかるよう構想されている。なぜ人びとは海外へ行ったのか、移住への道のり、移住先の風景、なりわいも示されている。横浜や神戸、長崎の港には「移民宿」があったのは興味深い。そうしたコミュニティがあったということは驚きである。日本移民は、野菜をもたらしたり、ジュートや綿花、コショウなどの栽培に貢献したことも知られている。
「ニッケイライフヒストリー」「日本の中のニッケイ・世界のニッケイ」では、現在では6世にもなる親戚の集合写真に目をみはるが、太鼓が"Taiko"となり世界フェスティバルもなされるように、独自の発展をとげていることも興味深かった。
「学習活動の手引き」も用意されており、「移民カルタ」や「紙芝居」も作成されている。国際理解教育などの視点で活用できるであろう。
次に参加者からいただいた感想をあげる。
自分の知らない歴史について、あらたに学ぶことが単純におもしろい(interesting )なことなのだ、ということをあらためて感じた。ガイドをしてくださった大橋さんが熱意を持って語っていただいたので、思わず、引き込まれた。
USAや南米へ、農民として移住した日本人の方の苦労がしのばれた。政府が移住を進め、それに応じた方々が移住して行った歴史が概観できる資料館だった。展示物も興味深かった。が、個人の一人一人の移住者が どんな思いで国を出たのか、そして望郷の念と共に どんな思いで異国の地で働き、夢を持ち、一生を終えたのか、個人の側からの記録が少なかった。それがあれば、この資料館はさらに充実するだろう。
沖縄展が特別展示されていた。移住者の多い沖縄の移住の歴史に焦点を当てていたのは、特筆に値する。
ご案内いただいた、大橋さんにあらためて感謝したい。企業を退職されてから、日本語教師の資格を得てJICAシニア・ボランティアとして2年間ブラジルで日本語を教えられたという。正直、移住の歴史については 特別に関心を持っていたわけではなかったが、熱心な説明に思わず引き込まれていた自分がいた。水先案内人の熱意、というのは、学ぶ側にとっては実に大きいのだ、ということを教員としてあらためて確認した体験でもあった。(L. K.)
JICA横浜海外移住資料館は、日本人の海外移住の歴史と、日系人の暮らしを展示した資料館です。日本人の海外移住は、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから、すでに100年以上の歴史があります。展示では、JICAが、戦後、主に中南米への移住事業の一翼を担ったことから、中南米とそれに先行するハワイを含む北米への移住を主たる対象としています。